弘法大師 空海は62歳の時、生死の境を超え「弥勒菩薩」が出世する「時」まで衆生救済(生きとし生けるもの全てを救う)のために入定(生きて永遠の瞑想に入る)しているとされ、空海のもとに供養塔を建て、その「時」を共に待っていると言われています。
弥勒菩薩とは仏教の開祖「釈迦(ゴータマ・シッダッタ)=仏陀」の次に現世に現れる仏で、釈迦の次に仏陀(ブッダ=悟りを得たもの)になることが約束された菩薩(=修行者)。
そして弥勒菩薩は釈迦が入滅してから56億7千万年後(=その「時」)にこの世に現れ、悟りを開き多くの人々を救済するとされています。
高野山 奥の院 マップPDF
杉の大木が立ち並ぶ参道の両脇に、それこそ数え切れないほどのお墓が。
こちらは武田信玄。
伊達政宗。
石田三成。
明智光秀。
まだまだ続きます。
こちらのひときわ巨大な墓標はお江の方さま。
に比べて、織田信長は...
こぢんまり。でも隣が筒井順慶なので、周りのお墓は家来たちなのかしらね。
歩き始めて40分ほど。
橋の手前から最大ズームで。
木立の隙間から見える建物は「燈籠堂(とうろうどう)」。
残念ながら改修工事中で拝観できず。今年の9月20日から再開扉されるんですって。また来なきゃ!
橋の手前で脱帽、一礼して渡ります。
扉に閉ざされた燈籠堂をグルっと回って裏手へ。
正直、途中から空気が一変するのが体感できます。
弘法大師御廟。
前にはたくさんのロウソク、線香が焚かれ、まさに「凛」とした空気が。
それまで大声でくっちゃべっていた中国人も、さすがに感じたようで口を閉ざします。
なかなか得難い体験。
もの凄いパワーをいただいた気がします。
一礼して橋を渡り、 御供所へ。生まれたときからとってもお世話になっている叔母が病床に伏しているので、
帰りは参道ではなく、「奥の院前バス停」を目指して奥の院墓地を歩きます。
時刻は13時を過ぎ、お腹ペコペコ。
ご飯にしましょう。
つづく。
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