中尊寺を拝観する前に平泉の歴史について簡単に。
(いろいろ間違えていたらごめんなさい。)
事の始まりは1051年。今から970年ほど前の平安時代中期から後期。
当時は陸奥国と呼ばれていた現在の岩手県付近は「安部氏」という豪族によって支配されていました。
「安部氏」の力は益々強大になり、その勢力を恐れた朝廷は源頼義+義家(←ランチの蕎麦屋の名前)親子を派遣し安部氏と12年に及ぶ戦を始めます。
これが前九年の合戦(昔は「前九年の役=えき」って教わったけどなぁ...)
苦戦を強いられた源頼義+義家 親子は陸奥の隣の出羽国の豪族「清原氏」の力を借りて、ようやく安部氏を滅ぼすことに成功します。
この時、朝廷から陸奥の国司として派遣されていたのが藤原経清(つねきよ)といって、平安時代の実質的支配者であり、藤原不比等を祖とする藤原一族の1人。
藤原経清は安部氏の娘と結婚していて男児がひとり。
この子供が後に平泉を平安京に次ぐ都市に発展させた奥州藤原氏の初代となる「藤原清衡(きよひら)」です。
清衡の父である藤原経清は前九年の合戦で安部氏に加担した罪で殺されてしまいます。
残された清衡の母、安部氏の娘は、なんと敵側の「清原氏」と再婚。
藤原清衡は姓を藤原から清原に変え清原氏として生きてゆきます。
それから20年後。
今度は清原氏の家督争いが勃発します。
これが「後三年の合戦」。
もちろん清衡も争いに巻き込まれます。
そこで手を借りたのが、なんと前九年の合戦で父を殺した宿敵である源義家!
(お蕎麦屋さんの名前の人)
結果、清衡は清原氏を滅ぼし、姓を「藤原」に戻し、奥州を治めることになるのでした。
歴史って、おもしろい!
後編につづく
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