気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館は市街地から南へ約8kmほど。
気仙沼湾の入口の岩井崎にあります。
もとは気仙沼向洋高校で、ほぼ震災当時のまま保存され、
津波被害の凄まじさを体感することができます。
ところが校舎に移るとその光景は一変します。
耐震補強された校舎の駆体は残っていますが、その中のものは.....別に整備された階段を上って3階へ。
なんと、ここには津波で流されてきたクルマが。
階高3メートルとしても3階だから6メートル以上になります。校舎の窓は全て破壊されているので、吹きさらし。
天気が良いとは言え、上着を着てこなかったことが悔やまれます...。
さらに階段を上がって4階へ。
4階は数十センチの浸水で免れたのだとか。って、4階ですよ。9メートル以上って.....想像を絶します。
写真に見える黄色い塊は保冷用の発泡材。
漁港の冷凍工場が流されてきて校舎に激突、その破片なのだとか。
さらに屋上へ。
避難した人々がさらに高いところへ逃れようと
積み重ねた机が残されています。
ちなみにこの高校では被害者は出なかったとのこと。
おそらく旧高校の校庭だったところはパークゴルフ場として利用されています。
プレーを楽しんでいる多くのご老人たちの明るい声が辺りに響き渡っていて、
遺構のサンタンたる光景と対照的に、心が救われる思いがします。
おじいちゃんが「おーい、俺ぁオーベぇーかぁ(OBかい)?」って。
そしたら「あぁぁ、おれもおめぇもオーベぇーだぁ!」だって。
きっと被災したであろう老人達が元気に、生き生きと楽しんでいる光景は、
気仙沼の復興が正しく行われているんじゃないかって思わせられます。
1階に下りて、外から冷凍工場がぶつかった跡を。
4階床まで浸水したってことです。校舎は南校舎(一番被害が大きい)、北校舎、総合実習棟の3棟が並列していて、
北校舎と実習棟を繋ぐ渡り廊下には津波で流されたものが多量に....。
これらの様を見て確信します。
大きな地震が起こったら、絶対、必ず、津波が来るんだと。
どんなに高い防潮堤を造っても、乗り越えて津波は押し寄せてくるんだと。
少しでも早く、少しでも高いところに逃げるしか、逃れる手段は無いのだということを。
釜石市の教訓。
「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」
まさしく。
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