“高野山” 真言宗の総本山になります。
“高野山” が付くには理由が。
平安時代中期、京都の東寺との間で争いがあり、東寺が「本寺」で金剛峯寺は「末寺」とされ、真言宗の総本山は東寺とされます。
そのため金剛峯寺は「高野山 真言宗」の総本山を名乗ることになってしまいました。
歴史的には空海が高野山に道場として金剛峯寺を作った(816年)のが先。
東寺(教王護国寺)も真言宗の根本道場となるのはその7年後。
何があったんですかね?
昔は天皇や皇族、高野山重職のみ使うことが許された「正門」から一礼して境内へ。
入って正面が「大主殿」。
正門に掲げられた提灯の家紋を見ても分かる通り、こちらの「大主殿」はもともと豊臣秀吉が母を弔うために建立した寺の建物。
「天水桶」屋根上に桶が2つあり、雨水をため、火災の時に屋根を湿らすのに使われます。「奥の院」の豊臣家墓所もそうだけれど、高野山における豊臣家の影響って大きんですな。
「大主殿」の内部には大小様々な部屋があり、それぞれが有名な作家による見事な襖によって仕切られています。
残念ながら撮影NGということで、詳細は公式ホームページをご覧ください。
金剛峯寺 寺内のみどころ
部屋以外は撮影可、って言われても.....
「大主殿」と渡り廊下で繋がった「別殿」「新別殿」には
国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」が。
雲海に雄(左)と雌(右)の一対の龍が石で表現されているんですって、わかる?一番興味があったのは裏方エリア。
こちらの炊事場は現在も使われていて、3つの大釜で2000人分のご飯が炊けるんですって。
「寺」と言っても大広間に小さな仏壇があるだけで、ほとんどが広間に台所。
食事や宿泊、イベントなんかが行われる建物なんですかね。
別棟に巨大な仏像があるから、いいのか、これで。
では、その別棟へ。









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