2020年11月14日土曜日

中尊寺 ライトアップ

休憩すること小一時間。

16時を回ったので再び中尊寺へ向かいます。

1日に2度も月見坂の急坂を登ることになるとは....。
明日は筋肉痛、確定です。


登り始めの空はまだ明るかったのですが、みるみる夜の帳が下りてゆきます。

暗闇が広がるにつれ、ライトに照らされた木々や建物が美しく浮かび上がります。
本日3度目の金色堂。
昼とは違って、これまた映え映えです。

金色堂の隣、経蔵とモミジ。

一旦、金色堂の拝観路に入場すると、グルッと回らないと出られません。

旧覆堂も昼とは違った装いに。

堂の中心に太い柱が立っていて、昼にはあまり気にしてなかったのですが、
藤原秀衡公 源義経公 弁慶 八百年遠忌菩提・・」って書いてありません?

これって、高校生の時に見た祭事で奉納されたってことかしら??


そして、昼もサイコーに美しかった弁財天堂。

風も弱まり、シンとした池面に写り込むお堂とモミジが、ほんと極楽浄土って感じ。


縦構図も。

息を切らせて寒い中、再び登ってきた苦労も報われます。

大人気の撮影スポットなので、次の人に場所を譲って、退散。
(高そうなカメラと三脚を据えて、陣取ってる人が数人....どんな写真が撮れているのやら)


とっぷり日が暮れて、参道の紅葉も美しさが増します。


さっ、そろそろ一ノ関のホテルに行きますか。


中尊寺ハス → 下山 → 休憩

かなり念入りに讃衡蔵を見学し、中尊寺についての知識が増えたところで、再び金色堂を拝観します。
(2回も見る人、いるのかしら??)


14時過ぎ。

日が傾き始め、風も強く、寒さ増大。
ダウンジャケットを着てきて正解です。

他に見逃したものも無く、時間を潰せるところもないので、一旦下山することに。

ここで相方さんが「中尊寺ハスを見てない!」って。

中尊寺ハスとは四代 泰衡の首級が入れられていた桶から100個あまりのハスのタネが発見され、1995年に発芽に成功。泰衡の没後811年である2000年には開花に至り、境内の池で栽培しているのです。

そりゃぁ見なきゃ!


境内の地図には讃衡蔵の脇の坂を下ったところって。

坂を下ると、団体客用のバス降り場があって、
それ以外は野原が広がっているだけ。


どこ池? どこハス??


よーーーーーく目を凝らすと、何やら育てている気配が。


近づいて見ても、全部枯れてる...。
ですよねぇ。もうすぐ冬ですし。


池の名残(?)みたいなところにもハスが育てられていた気配が。

車道があるし、これを下りてけば下山できるんじゃん? ってことでテクテクと。



意外と時間が掛かって麓の駐車場に到着。

ここで相方さんから「数百メートル行ったところに秀衡塗の名店がある」って。

時間はあるから訪問して見るも、店と言うより小さな倉庫?
でも土産物屋に置いてある秀衡塗の商品はほとんどこちらの製品なのだとか。


本日の後半にきて、相方さんにさんざん歩かされます...。


トボトボと駐車場まで戻ってきて、平泉レストハウスのフードコートで休憩。
暖をとります。

時刻は15時。

小腹も空いたので、盛岡名物の冷麺とジョッキのビールを。

「暖」をとるんじゃねーのかってね。

意外と冷麺が美味しくって、良いつまみになります。

休憩ついでに15時を過ぎたのでGoToトラベルの地域クーポンを申請し、1万円分をゲット。
って、先に申請しとけば、この冷麺とビール代、クーポン使えたのに...。


寒さと歩きすぎで、頭が回っておりません....。



中尊寺 弁財天堂 → 白山神社

大長寿院からの階段を下ると、美しく紅葉した木々に囲まれた「弁財天堂」の裏側に


弁財天堂は池に囲まれており、ちょうど良い日差しの向きと相まって、
恐ろしいほどに美しい景色を見せてくれます。

まさに清衡が目指した極楽浄土とは、このことでしょうか....。

紅葉の季節にギリギリ間に合って良かったぁ...。


弁財天堂の脇からは少し趣が変わって、中尊寺の鎮守「白山神社」へと参ります。


この神社には江戸時代後期、伊達藩によって再建された能舞台があります。


近世の能舞台遺構としては東日本で唯一のものなのだとか。


むかーし、むかし。
設計事務所に勤めていた時に能舞台の設計に携わったことを急に思い出しました...。



中尊寺 讃衡蔵

白山神社の参拝を終えたのが13時過ぎ。


少し早いので神社の奥にある「かんざん亭」で休憩することに。


が、「本日 臨時休業」の下げ札が.....ガビチョ〜ン。

ちょっと時間があまり気味なんだけどなぁ.....。



気を取り直して、先ほどスキップした讃衡蔵を見学することに。


讃衡蔵(さんこうぞう)とは「奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)の偉業を讃える」という意味で名付けられた中尊寺の文化財を収蔵・展示する施設で、現在の建物は2000年(平成12年)に造られたもの。


金色堂の入場券と共通で拝観することができます。


もちろん内部は撮影禁止。

なのでこちらを参考にご覧ください。

 https://www.chusonji.or.jp/around/highlight.html

 (ページ最下部の「中尊寺の文化財」参照)



入口を入ってすぐにドスン!ドスン!ドスン!と大きな坐像が3体。

2体は薬師如来で、中央の阿弥陀如来が中尊寺本堂の本尊。

全て平安時代後期のもので、1丈6尺(約5m)の仏像「丈六仏(じょうろくぶつ)」と言います。


続いて中尊寺のなが〜い年表を見つつ、収蔵品を見てまわります。


数ある収蔵品の中から、かなりナイスなお宝は....


金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅 【国宝】

こんこうみょうさいしょうおうきょう きんじほうとうまんだら)

 ↓こちらのブログに全景の写真があります。

 http://zuiunzi.jugem.jp/?day=20140312


金光明最勝王経」というお経を紺色の紙に金字で描かれているのですが、遠目で見ると幾重にも重なった塔の周りに様々な情景が描かれている「絵」の様に見えますが、よーくみると全て経文(文字)で図形を描いています。

 ↓こちらのブログにディテールの写真があります。

 http://chinaalacarte.web.fc2.com/bukkyoubijutu-103-2.html


あまり他では見られない、奥州藤原氏独特な表現方法なのだそうです。



紺紙金銀字交書一切経 【国宝】

こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)


 ↓こちらのブログにディテールの写真があります。

 http://blog.livedoor.jp/nasa1/archives/50332896.html 


通称「中尊寺経」と呼ばれ、金字宝塔曼荼羅と同じく紺色の紙に金と銀を交互に使って書かれた絢爛豪華な一切経。

金銀交互に書くなんて、かなりオシャレ。

一切経とはお釈迦様の教えを文字にした「経蔵」、規律を記した「律蔵」、後の仏教徒が解釈した「論蔵」の3つの総称で、いわばお経のすべてってこと。


約8年の歳月と莫大な費用を費やし、5,300巻も作成されましたが、ほとんどが流出。

現存が確認されているのは4,500巻ほどで、中尊寺に残るのはわずか15巻のみ。


残りのほとんどの流出先は高野山金剛峯寺。


犯人は豊臣秀次で、秀吉に見せるために持ち出したのだとか....それが現在でも持ち出されたまま、いわゆる「借りパク」状態。

借りたら、返しましょうよ。



残念なことに、これらの展示物は2つともレプリカ。


「金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅」は東京国立博物館で、

「紺紙金銀字交書一切経」は京都国立博物館で実物を見ることができるそうなので、

機会を見て是非。



中尊寺 経蔵 → 旧覆堂 → 大長寿院

金色堂をかなり満喫し、次へ。


覆堂の出口を出たすぐのところには、とても珍しく貴重な「紺紙金字一切経」が納められていた「経蔵(きょうぞう)」が。

鎌倉時代末期に再建されたとされ、建材の一部に創建当時、平安時代の材料が使われているのだとか。

金色堂と同じくらいの大きさで、覆堂で隠されていなければ、
黄金に輝く金色堂に対して、とても質素で趣のある経蔵が並んで見られ、
京都の金閣寺に対する銀閣寺みたいな感じだったのでしょうね。

そのまま文化財を展示している讃衡蔵へ....と思ったら順路が決められていて、戻ることはできず、経蔵の脇を抜けて「旧 覆堂」へ。



意外とスカスカで、これだと金色堂もかなり傷んでいたはず。
でも鎌倉時代から昭和までのおよそ700年もの間、朽ちることなく金色堂を護り続けたのは立派でございます。


さらに先へ、一番奥にある立派な門が「大長寿院」への門です。
多くの寺塔で構成される中尊寺で、数少ない門から中に入れる寺塔。

本堂の脇には、もの凄く立派で、他を圧するほどの存在感を出してるモミの木が。

幹の周長が5.1mもあり、樹齢は350〜400年だそう。


木の根が複雑に絡み合った階段を下って、もとの金色堂前の場所に戻ります。




中尊寺 金色堂

続きましては、本日のメインエベントっ!

中尊寺 金色堂でございます。


手前の讃衡蔵で共通の入場チケット(800円)を買い、順路では中尊寺の文化財を展示している讃衡蔵からなのですが、こういった資料モノは見るのに時間が掛かりそうなので後回し。

先に金色堂を拝観することにいたします。

恐らく、誰もが撮影するベストポジションからパシャり。


高校の修学旅行以来、30年以上ぶり。

他の景色はほとんど、まったく覚えていませんが、
この緩やかな階段の先にそびえ立つたたずまい。学ランを着てぞろぞろと列になって上っていった光景はハッキリと覚えています。


このコンクリート造の建物は覆堂(おおいどう)といって、金色堂を風雪から保護するためのもので、昭和37年(1962年)に金色堂の解体大修理が行われた際に新たに建てられたもの。


中身の金色堂の建立は1124年。

当時は独立して屋外に建っていましたが、数十年後には簡易的な覆う施設が造られ、1288年に鎌倉幕府の命で建物をすっぽり覆う「覆堂」が造られたのだとか。


ではでは、
ぐるっと建物を回り込んで、奥の入口から覆堂の中へ。

残念ながら内部の撮影は禁止。

なので詳細はこちらから。


高校生の時にも思ったんだけど、意外と小っちゃい。
けど、金ピカ具合や、ほんとに細かな装飾は絶品です!!

ガラスケースの中、ディテールまで見るのは肉眼では無理。
双眼鏡を忘れたのが悔やまれます....。


金色堂の須弥檀の中には奥州藤原氏三代の亡骸と四代 泰衡の首級がミイラ化した状態で納められています。

実は修学旅行で訪れた1986年(昭和61年)、ちょうど「藤原秀衡公・源義経公・武蔵坊弁慶 八百年御遠忌特別大祭」という催しが行われていて、普段は公開されていないこのミイラを見ることができたんです!

生まれて初めてミイラを目の当たりに、そうとうショッキングな出来事だったのでしょう。

いまでもその記憶は鮮明に残っています。



1950年(昭和25年)に「藤原氏四代の御遺体学術調査」が行われた時の様子はこちらのブログに載っていましたので、参考まで。


中尊寺 本堂 → 峯薬師堂

こちらが中尊寺の本堂。
1909年(明治42年)に再建されたもの。

そもそも現在の中尊寺、藤原清衡によって建立された当時の建物で現存しているのは
金色堂のみ。

奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた時、平泉のあまりの美しさに存続が約束され、鎌倉幕府の庇護を受けていましたが、徐々に荒廃してしまい、1337年の大火災で金色堂以外は焼失。

江戸時代になると仙台藩伊達氏の助力でいろいろと再建されます。


本堂に祀られる本尊は一丈六尺(約5m)と大きな釈迦如来で、初代 清衡が安置した当時の本尊と同じ大きさなんだそうです。
やっぱり新しいから、風情はあんまり...ですね。



本堂の脇の門を抜けると美しく紅葉したカエデやモミジに囲まれた「峯薬師堂」が。




峯薬師堂の前には池があり、天然記念物のモリアオガエルが生息しているのだとか。
もう冬眠してるかしら?

池を覆い尽くすモミジの葉。



こちらのお堂、目の病にご利益があるそうで、絵馬には「め」って。

め め め め め・・・・・・っ。