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2023年2月23日木曜日

増上寺 散策 その5(最終回)

 現・増上寺境内の散策を終え、旧・増上寺の敷地だった周辺を見てまわることに。

まずは南へ。

ザ・プリンス パークタワー東京の脇を抜けて....って、ここ芝公園ではない?
グーグルさんに聞いてみると「プリンス芝公園」ですって。

何それ?

しばらく来ていないうちに、こんなんなってるのね。
調べたらザ・プリンス パークタワー東京の開業に合わせて整備されたんですって。
それも2005年だから13年も前....。

知らんかったわ。

で、そのホテルの駐車場への導線脇にあるのが戦火を逃れた2代将軍 秀忠の御霊屋の門、
「台徳院霊廟惣門」です。
左奥に見えるホテルの建物の位置に宝塔があり、
門の奥に、先ほど宝物展示室で模型を見た壮麗な霊廟があったんですなぁ...。


そして門の南側には本物(?)の芝公園があり、
その脇にヒッソリと「芝東照宮」があります。
もともとは増上寺の敷地内だった社で、家康が還暦を記念して作らせた像「寿像」をお祀りしているそうな。

例のごとく、明治政府の神仏分離で増上寺から切り離され芝東照宮となりました。


続いて北へ。

増上寺を通り越し、昔ながら、馴染み深い東京プリンスホテルの駐車場脇に立つのが
「有章院霊廟二天門」。

7代将軍 家継の御霊屋の門です。
こちらも戦火を逃れ、創建当時のもの。
2015年に改修工事が施され、漆塗りもピッカピカに復元されています。


続いて駐車場の敷地に沿って曲がったところにあるのが「御成門」
こちらも戦火を逃れておりますが、もともとは現地より1ブロック北の御成門交差点付近にあったものを現地に移設しています。

将軍が増上寺に参詣する際に使われたことからその名が付きました。

さっきの修復された二天門とは裏腹に老朽化が進んでいてちょっと心配...。


これにて増上寺とその近辺の散策は終了。

日光につづいて増上寺もお参りしたので、次は寛永寺と谷中霊園を訪れれば
徳川将軍家のお墓参りはコンプリートとなります.....な。





増上寺 散策 その4

徳川将軍家墓所からさらに奥へ進むと草むらの中に
「貞恭庵(ていきょうあん)」があります。
和宮さまゆかりの茶室で、こちらに移築されたもので、
法号「好誉和順貞恭大姉」から「貞恭庵」と名付けられています。

もともと何処にあったのか、いろいろ調べてみたものの詳細は不明。

和宮さまは明治維新後、江戸城を出て京都に上洛しますが、
明治7年に再び東京に来て現在の六本木1丁目にあった八戸藩主の屋敷に
住むことになります。
その屋敷にあった茶室なのでは? という説が有力なのだとか。

現在も現役で使用されている茶室なのですが、プラ波板が放置されていたりして、
管理はズサン....残念です。


さらに先に進むと小高い丘の上にそびえるのが「大納骨堂」。
戦災を逃れた数少ない建造物で、増上寺に有縁無縁の多くの方々が祀られているのだそう。


これにて現在の増上寺境内の散策は終了。

続いて旧増上寺にまつわる所を散策します。



増上寺 散策 その3

 「徳川将軍家墓所」のみの拝観料は500円。

青銅製の立派な「鋳抜門」の脇の通用口から墓所内へ入ります。

40メートル四方ほどの場所に8つの宝塔があります。
1つずつ見て歩いていると背後でボランティアのおじさんが
「説明を始めるので、よろしかったらどうぞ!」って。


聞きましょう。


徳川将軍は全部で15人。

初代 家康さんは日光の東照宮に神様として祀られています。
3代 家光さんは祖父の家康さんが大好きで、同じく日光の輪王寺 大猷院に。

最後の15代将軍 慶喜さんは大政奉還をして将軍職を辞してから亡くなっていることと、
明治天皇を慕っていたため仏式ではなく神式で、明治政府が作った谷中霊園に眠っています。

残る将軍は12人。

列挙すると...
初代 家康=日光東照宮
2代 秀忠=増上寺
3代 家光=日光 輪王寺大猷院
4代 家綱=寛永寺
5代 綱吉=寛永寺
6代 家宣=増上寺
7代 家継=増上寺
8代 吉宗=寛永寺
9代 家重=増上寺
10代 家治=寛永寺
11代 家斉=寛永寺
12代 家慶=増上寺
13代 家定=寛永寺
14代 家茂=増上寺
15代 慶喜=谷中霊園

となり、増上寺寛永寺と交互に埋葬されております。

徳川家の菩提寺は浄土宗増上寺なので全員がこちらに埋葬されると思いきや、
そうはいきません。

江戸幕府創建時に家康の側近として多大な力を発揮した天海というお坊さんがおりました。
一説には信長を倒した明智光秀ではないかと言われている人です。

この坊さん、天台宗の僧で家康、秀忠、家光は浄土宗から天台宗に改宗してます。

で、江戸に天台宗の寺を建てようってことになって出来たのが上野の「寛永寺」。
創建当時はこれまた広大なお寺でした。
(現在は上野の公園や博物館、美術館、動物園、大学になってますな)

家光の遺志で葬儀は寛永寺で行われ日光へ。
家光の長男、4代 家綱以降も寛永寺との関係が強く上野に埋葬されます。

が、そもそも徳川家菩提寺の増上寺が大反発!
以降、増上寺寛永寺の交互に埋葬するってことで決着したそうな。


増上寺の話に戻って。

墓所中央にある旧・増上寺の配置図を見ながら。
(右方向が北になります)

もともとは広大な増上寺の敷地に、先ほど模型で見たような壮麗な霊廟(御霊屋=おたまや)が、将軍が亡くなる都度、建てられていたそうな。

最初は配置図の左側(南側)のピンク部、2代将軍 秀忠の霊廟。
現在は「ザ・プリンス パークタワー東京」の建つところ。

続いて6代 家宣、7代 家継の御霊屋は配置図の右側(北側)のピンク部で、
現在は「東京プリンスホテル」が建っています。

この頃、江戸幕府の財政状況はそこそこ裕福で、立派な御霊屋を建てておりました。

んが、7代 家継の子がことごとく早世してしまい、2代 秀忠から続く徳川宗家は絶え、
代わって呼び出された紀州徳川家の吉宗さんが8代将軍となり、
財政立て直しのため御霊屋の建設を中止します。

よって9代 家重、12代 家慶、14代 家茂は配置図の右側のもともとある霊廟に
埋葬されることとなりました。

仏教では西に極楽浄土があるとされているので、全ての「門」は東側。
宝塔は西側に配されておりました。

時は経ち....

1945年(昭和20年)。
戦災で増上寺のほとんどの建物が焼失。
徳川将軍家の霊廟も焼失、荒廃したままの状態でしばらく放置されていたのだそう。

戦後復興も進み、焼失から13年後の1958年(昭和33年)に各墓所の学術調査が行われ、
土葬されていた遺体は荼毘に付され、焼け残っていた宝塔を現地に移設し改葬されました。

が、2代将軍 秀忠さんの宝塔は木造だったため焼失。
石造で焼け残った継室「お江さん」の少し小振りな宝塔におじゃまさせてもらっています。

8つの宝塔のうち6つは石製ですが、6代 家宣さんと和宮さまのは青銅製。

この墓所の「鋳抜門」も元は家宣さんの霊廟にあった中門で、こちらに移築されたもの。
当時は財政的にも裕福で、高価な青銅製のものが作れたんですって。

また14代 家茂の正室で、公武合体策によって降嫁した和宮さまの宝塔も青銅製で一際立派。
菊の御紋が各所に施されています。

また、もともと御霊屋があった敷地は戦後、西武の堤さんが取得し、
東京オリンピック開催に合わせて世界レベルのホテルとしてプリンスホテルが作られたんですって。

事前にいろいろ調べていましたが、それ以上の興味深い話を聞くことが出来、
ボランティアさんには感謝感謝でございました。


まだまだ続く。

増上寺 散策 その2

黒門から再び三解脱門をくぐって境内へ。

大殿の右脇から下りる地下に増上寺の宝物展示室があるそうなので
行ってみることに。

ここで年配の車椅子の方が
「階段しか無いのかぁ.....じゃぁ諦めよう。仕方ない」って。

特に案内はないので車椅子で入館することは出来ない模様。
残念です。


展示室は有料で入館料は700円。
徳川将軍家墓所拝観との共通券は1,000円で、そちらを購入し中へ。


目を引くのは展示室中央にどどーんと展示されている「台徳院殿霊廟模型」。

2代将軍 秀忠さんの霊廟(御霊屋=おたまや)の10分の1の模型で、
本物の御霊屋は戦災で焼失してしまっているので、
当時のディテールを残す唯一のものなのだとか。

1910年に開催された日英博覧会の展示物として出品され、
その後は英国のロイヤル・コレクションとして保管されていたものが、
英国女王から増上寺へ長期貸与という形で戻ってきたんですって。


日光東照宮のモデルになっただけあって相当立派ですが、
お金出してまで見るものかどうかは微妙....。


続いて大殿の横に立つ「安国殿」を参拝。

こちらは焼失した大殿に代わって本堂として使われていたもので、
徳川家が信仰し、厄を退け、戦の勝利に導いたと言われる黒本尊が安置されています。

ご開帳は正月、5月15日、9月15日の年3回。

それ以外の時は土産物コーナーになっていて、賑わっております。


水子地蔵が立ち並ぶ安国殿の脇を抜けていくと、
その先に「徳川将軍家墓所」があります。

つづく。


増上寺 散策 その1

大河ドラマで家康をやってるからって訳ではないですが、
芝の増上寺とその周辺散策に。

まだ2月なのに暖かな祝日。

大門駅から昼メシにうどんをいただいた後、散策スタートです。

まずは「芝大神宮」を参拝します。
こちら、伊勢神宮の江戸支社で鎮座1000年を越える由緒ある神社。
広重の浮世絵にも描かれておりますが、当時の面影はゼロ。

増上寺を含め、ここら辺は空襲で焼けちゃっているので仕方ありません。


参道に戻り、増上寺の表門へ。
地名にもなっているとおり「大門」と呼ぶ人と「赤門」と呼ぶ人がいますが、
どっちが正解なんでしょう...。

江戸時代には広大な敷地を有していた増上寺。
悪しき明治政府に没収されるまで
ここからズーッと、増上寺だったんですね。

で、大門から現在の正門である三門「三解脱門」までは人の煩悩の数と同じく
108間(約196m)あるのだそう。
大門から三門に至るまでにあらゆる煩悩から解脱するんですって。

そして三門。
正式には「三解脱門」と呼ばれ、門をくぐることで
「むさぼり」「いかり」「おろかさ」の3つの煩悩から開放されるのだそう。
一礼して境内へ。

三解脱門から本殿までの距離にもコダワリがあって、48間(約87m)。
これは浄土教の教典にある菩薩が如来(仏様)に成るための修行に先立って
立てる48の願と同数なんですって。
本殿背後の東京タワーのうしろに馴染みのない高層ビルが。
ん?? 虎ノ門ヒルズじゃないよね??

グーグルさんに聞いたところ、今年開業を目指して建設が進む
「麻布台ヒルズ」なんですって。

高さ330mで東京タワーと並ぶのだそう。
そんなに東京にビル要る??

ちなみに東京タワーの敷地は、もともと増上寺の敷地で
明治政府に没収されたところに建てられております。


本殿にお参りして先に進む前に三解脱門の横に立つ「黒門」を見に行きます。


脇道から黒門を目指していると、駐車場に黒塗りのクルマがびっしり。
黒服のイカツイ人も多数.....なんだ、なんだ??


振り返って、その理由が判明。
なんと先日亡くなったトヨタ自動車の豊田章一郎さんの葬儀が行われておりました。
なるほど。物々しい雰囲気も納得です。


そして「黒門」
三代将軍 家光によって立てられた門で、
本当は御成門の近くにあった増上寺の方丈(住職の住まい)の表門だったものが
現地に移築されています。

かなり老朽化が進んでいて、はやいとこ修復してあげて欲しいですな。


つづく。