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屋上家庭菜園 スタート!

我が家は築10年を超え、外壁と屋上防水のメンテを完了。 一番危惧していたのは屋上に色々とモノが置いてあるのだけど、 防水塗装ができるかどうか。 結果、エリアを半分ずつ区切ることで工事することができ、 これまでの悩みが一気に解消。 屋上にいろいろあっても、防水塗装工事ができるのね。...

2020年11月16日月曜日

一ノ関 散策 → 帰宅

平泉から一ノ関へ。

給油を済ませてレンタカーを返却し、
再び入場券を買って一ノ関駅の東口から西口へ。


帰りの新幹線まであと1時間半ほどあるので一ノ関の町を散策することに。


まずはガイドブックや情報サイトに必ず掲載されている「世嬉の一酒造」へ。
酒蔵の他にレストランやカフェが併設されているそうで、なかなか立派な施設です。

が、月曜日ってことなのか、人影はまばら。
ってかレストランに1組のお客さんがいるのみで、あとは我々のみ。

しーんとした売店で2種類のお酒を試飲させていただきます。

美味しかったら買っても良かったんですけど、どちらも口に合わず....。

趣のある館のカフェは本日は休業。
内観をサラッと見させていただいて、退散します。



さて.....、お次は一ノ関の名菓を扱う「松栄堂」の総本店へ。
一ノ関を始め、平泉でも土産物店には必ずこちらの商品が。

特に有名なのが「ごま摺り団子」と「田むらの梅」。
それ以外のも見てみたいってことで、店内を物色します。

綺麗な和菓子の他に洋菓子もやっているのですが、
有名な2種類以外に興味をそそられるものが無く、
その2つなら駅で買えるので、こちらも早々に退散です....。



じゃぁ駅に戻りますか.....。


収穫なくトボトボとバス通りを歩いていると、1軒の町の酒屋が。

せっかくだから寄ってみます。
写真を撮ってないので、Googleストビューから。


なんの変哲もない小さな町の酒屋さん。

んが、入ってすぐのところに見たことがないパッケージのプレミアム田酒がぁ!!!

おぉぉぉぉーーー!?


店の奥へずずずぃーっと。

冷蔵ケースにも、常温の棚にもいろんな田酒がいっぱい!!

しかも全部定価っ!!!!!!


そんな中、ご主人のおすすめに従って、
年に2回、この時期しか入荷しないという「純米吟醸 山廃」をゲット!

税込1,915円!
しかもGo Toトラベルの地域クーポンが使えて益々ラッキー!!


ちなみにこれ、ネットだと値段は倍以上+送料だし、
よっぽどタイミングが良くないと買えません。



後日こちらのお店のホームページを見てみたら、
電話注文で全国発送してくれるとのこと。

送料を加味しても、定価で売ってくれるならかなりのお得!


てくてく歩いてきた甲斐がありました。



駅に戻り、みやげ物屋で最後のお買い物。

ゲットしたのは
早野商店 カキ佃煮 ←炊きたての新米に乗せて....激美味です!!
割りしみチョコせんべい ←買い増し。
ごま摺り団子 ←冷蔵でやっかい。味も.....微妙。
田むらの梅 ←常温だし、こっちのが美味い!
かもめの玉子 ←初めて食べたけど、おいしい!!
などなど。

地域クーポンもキッチリ使い切って、スッキリ。

ささ、新幹線のお時間でございます。



平泉、三陸、一ノ関と....
思い残すこともなく、存分に堪能させていただきました。

ありがとー!


高館 義経堂

平泉文化センターを出ると、空には暗雲とともにパラパラと雨が。

陰り始めた日差しで虹が現れます。


只今の時刻、14時半。

レンタカーの返却まで残り1時間半となりました。

最後は相方さんのご希望で、源頼朝の命による四代 藤原泰衡の襲撃を受けた源義経が
妻子と共に自害したという「高館 義経堂」へ。


クルマですぐ。
東北本線の線路を渡った東側の小高い丘にそれはあります。


駐車場から急な坂道を登った先に参拝の入口があり、

さらに階段を上って丘の頂上へ。

そこからは悠々と流れる北上川と晩秋を迎えた長閑な田園風景が。

実はここ高館(たかだち)は源義経の最後の地であると同時に、
松尾芭蕉がかの有名な句を読んだ場所でもあるのです。


 「夏草や兵どもが夢の跡」


奥州藤原氏により京の都を凌ぐほどの栄華を誇るも、滅び荒廃した平泉。

平家を打ち破る武功を上げるも、自害に追い込まれた源義経。

そして悠久の時を経てなお、変わることなく流れ続ける北上川。


この丘に立つと芭蕉でなくても一句読みたくなってしまいます。


お堂をお参りして、丘を下ります。


平泉の旅の締めくくりとしては、最良でございました。



平泉文化遺産センター

絶品海鮮丼を満喫した後は、初日に大変お世話になった
平泉レストハウスでお土産を物色することに。

ところが、午前中の毛越寺でも会った修学旅行生でごった返した店内。
落ち着くまでしばし待ちです。


まさに台風一過。
落ち着きを取り戻したところで、じっくりお土産を見てまわります。

みやげを買う機会はここか一ノ関の駅なので、
ここ以外では見かけなかった「割りしみチョコせんべい」の小分け版を
地域共通クーポンを使って、大量ゲット!

これ、良い具合にあまじょっぱくって、ゴマも芳ばしく
とっても美味しいんです!



で、さっき大夫黒を探してウロウロした平泉文化遺産センターに戻り
奥州藤原氏を始め、平泉の文化と歴史についての展示をのんびり見てまわります。

ここで職員の女性に、かねてから疑問に思っていたことを聞いてみます。

平泉に着いてからずーっと、土産物屋や飲食店、そして秀衡塗にと
あらゆるところで、しょっちゅう見かける菱形が4つ組み合わさった
模様を見かけるんです。


 

この菱形の模様、奥州藤原氏の家紋なのか、なんなのか.....。

残念ながら職員の女性も模様は知っているものの、その意味はわからず。


ところが小1時間後、展示を見終わって出てきたところでこの女性に声を掛けられ、
模様について簡単に調べた結果を教えていただきました。

この模様、「有職菱紋(ゆうそくひしもん)」の一種なのだそう。

有職菱紋。つまり「職」のある位の高い人が使う模様で、
奥州藤原氏や平泉に限ったことではなく、広く日本全国で見られるのだとか。

なぜ平泉や秀衡塗で重用されているのかについては、
鎌倉幕府に滅ぼされてしまったが故、ちゃんとした文献が残っていないので不明。

なんにせよ、わざわざ調べてくださって、ありがとうございました。

平泉文化遺産センターは入館無料にもかかわらず、しっかりした見ごたえのある展示で、
平泉に行った折には、是非!




平泉でランチ

時刻は13時。

午前中にお餅をいただいたとはいえ、お腹はペコペコ。


お蕎麦と盛岡冷麺は初日に食べちゃったし、
意外と選択肢が少ない平泉でのランチ。


んじゃ、やっぱり魚介なんじゃない? ってことで海鮮丼をいただきましょう!


事前の調査では平泉文化遺産センターの近くにお店があるって。
行ってみます。


センターの駐車場にクルマを駐めさせていただいて、辺りを探すも見つからず、
改めて持って来たガイドブックを見てみるも、この近所で間違いなし....でも店はナシ。


Google Mapで店名で検索すると中尊寺の麓、平泉レストハウスの隣ですって。


着いたらなんてことない、初日に中尊寺を満喫していた時に店の前を通って、
「ここ14時で閉店だって。なんだろうね??」って言ってたお店じゃないですか。


お店の名前は源義経の愛馬の名前と同じく「大夫黒(たゆうぐろ)」
最近こちらに移転したんですな。

いざ入店。


海鮮丼はサイズによって大が「弁慶」、中が「義経」、小が「静」。
なるほど、なるほど。徹しています。


では、中の「義経」を2つ。


気仙沼出身で目利きのご主人が毎日、三陸から仕入れているのだとか。

ブラボーーーーー!!!

ハズレのネタなど無く、どれもこれも新鮮でプリップリ。

いままで食べた海鮮丼で一番美味しいかも.....。




観自在王院跡

毛越寺の隣には二代 藤原基衡の奥さんが造ったと言われる観自在王院の跡が。



これまたひろ〜〜い史跡公園で、奥まで行こうと思うとかなり歩きそう.....。

てことで、入口のさわりだけで。

ちなみにこちらも一時期、水田になっていたそうで、
たしかにこれだけ広くて、池もあったら水田にもってこいですな。


で、駐車場に引き返す途中で毛越寺の宝物館を見ないで出てきたことに気付きます。


先ほど払った拝観券を見せて、もう一度入れてもらいます。



毛越寺を十分堪能し、只今の時刻は12時半。

お腹.....空いたね。
さっき厳美渓でお餅を食べたばっかだけど....。




毛越寺

達谷窟 毘沙門堂から東へ、クルマで7〜8分のところに毛越寺があります。


毛越寺は奥州藤原氏二代 藤原基衡が造り始め、三代 秀衡によって完成され、
最盛期には中尊寺をも凌ぐ、絢爛豪華な寺社だったのだそう。

が、度重なる火災に加え、藤原氏滅亡後は荒廃が進み、
江戸時代の一時期には水田になっちゃってたこともあったのだとか。

いくつかのお堂は再建されていますが、ほとんどが基礎のみ残っているだけ。

とはいえ、極楽浄土の再現を目指したという庭園は、創建当時の様相を多く残しています。

中心の大きな池を囲うように、順路通りグルっと回ります。

こんなに美しく、広大な庭園にポツン、ポツンとお堂が散在していて、
最盛期にはここでどんな生活をしていたのか....想像が膨らみますな。





達谷窟 毘沙門堂

厳美渓を後に、次へ。


北に向かって1本道を5〜6分。
あっという間に達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂に到着です。

拝観料400円を払って鳥居をくぐると....

また鳥居? 門??

んでもって、さらに鳥居。


で、その先に望む崖にへばりつくように建つのが
達谷窟 毘沙門堂でございます。

「崖にへばりつく」というより「崖の窪みにねじりこむ」って感じかしら?

キッチリ、窪みの形状に合わせて作り込んでおります。


お堂に入ってお参りします。

んが、鳥居を3つもくぐって来たもんだから、おもわず二礼二拍手一礼。
あれ? ここお寺だよね??? 毘沙門天を祀ってるし。


調べてみたら、お寺に鳥居があることを「神仏習合」というのだとか。

日本土着の神道と仏教が融合しちゃった現象で、
明治維新の時に神道と仏教を明確に区別する「神仏分離」が行われるまでは
普通にあったことなのだそう。


では改めて達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂について。

創建は801年。

征夷大将軍だった坂上田村麻呂が、この窟(いわや)に巣くう「悪路王」を討伐した祈念に建てられました。

悪路王ってのは陸奥国の伝説上の人物で、暴虐の限りを尽くす悪党のこと。


778年創建された京都の清水寺の舞台をモデルにしているんですって。

お堂の横の壁面には磨崖仏(まがいぶつ)が彫られています。

磨崖仏としてはここが北限なのだそう。




一ノ関名物 お餅

クルマを駐めておいた道の駅に戻り、
近隣で作られた農作物を扱う売店がオープンしたので覗いてみます。


今年は台風が上陸せず、天候に恵まれたため
東京でも野菜が異常に安く売っていますが、ここは桁違い。

直径30cmの長ネギの束が600円とか、漬け物用の大根の束が300円とか.....

で、去年から、冬になるとベランダでいろいろ干している相方さん。
東京ではなかなか見かけない干し柿用の柿を発見します。

ズッシリ、巨大な渋柿が10個で200円!!!
1個 20円って!!
むむむぅーーー、買って帰りたいけどぉ、ちょっと重すぎ。


地元の人が手作りしている食材コーナーには
大好きな映画「リトル・フォレスト」に登場する「ばっけみそ」が。

ばっけ=蕗(ふき)のこと。全国的には「ふきみそ」ですな。

これなら持って帰れるから買って良し!

 ばっけみそ 350円也。
 (これ、帰宅後に炊きたての新米に乗せて。超美味でございます!)



そうこうしていると併設のレストランがオープン。

だいぶ早いですけど、本日のランチ その1、
一ノ関名物の「お餅」を頂きます。

いくつか種類があるお餅料理から「和風ミニセット 600円」を。
左上から、こしあん、餅無し大根おろし、餅入り稲荷、
左下はくるみ、鶏そぼろ、ネギ海苔醤油。

お餅は都度都度、店内で「ペッタンくん」がついているのだとか。

お餅は普通に美味しい。
けど、それ以上でも、それ以下でもナシ。ね。



厳美渓 その2

吊り橋の「御覧場橋」から上流のコンクリート製「天工橋」へ。

ガッシリ、揺れない(当たり前...)ので安心して川の向こう岸へ。

まだ日が昇りきっていないので、少し光の角度が浅いのと
もう紅葉も終盤なのが残念ですが、なかなかの景観です。

向こう岸にはオープン直後の土産物屋が数店。

店先に「金婚漬け」なるお漬け物が。
義父母が今年、めでたく金婚式ということで、絶好のおみやげを発見です!


川岸の少し開けたところに東屋が建っていて、
そこと向こう岸のダンゴ屋とがロープで繋がっています。


ははぁー、これ何かの旅番組で見たことあるヤツだ。


そしたらちょうど若者達が実演してくれました。
ロープに吊されたカゴに500円を入れて、木槌で板を叩くとスルスルと店側にカゴが移動。
あっという間に帰ってくると、カゴ中にはお団子とお茶が入っているって仕組み。
なるほどね。


岩場ギリギリの撮影スポットから上流を望む。
滑って落ちないよう注意して戻ります....。


橋を渡って帰る途中も遠くから木槌の鳴る音が。
なるほど、カッコウの鳴き声みたいだから「かっこうだんご」ね。

ちょうど川をカゴが渡る瞬間をパシャリ。
拡大して見たらわかるかなぁ??
わかんねぇだろぉなぁー。





厳美渓 その1

最初の訪問地は美しい景色がみられる渓谷「厳美渓(げんびけい)」。


幹線道路沿いの道の駅にクルマを駐め、徒歩で数分の吊り橋へ。

雨で濡れているので注意しつつ階段を下りて橋へ。

先客がいなくなるのを待って、いざ!


.......歩く度にバユン、バユン......結構揺れます.....。


「ちょっとぉ、揺らさないでよっ!!」

「揺らしてないよぉ....歩いてるだけだってば!!」


高いところが大の苦手な2人。
大騒ぎしながら、やっとこさ橋の真ん中まで到達します。


ビビリまくって、写真撮るのが背一杯....。

橋から下流と、

上流。

はい。お終い。

橋を渡りきることなく、途中までで引き返します。


川沿いを上流方向へ。

川は幅が狭まり、流れも急に。



つづく。


3日目 最終日

朝7時起床。


前日と同じく、ホテルのロビーで簡単なお弁当とお味噌汁をいただきます。

荷物をまとめて9時前にチェックアウト。

今日の予定は一ノ関の名所と中尊寺以外の平泉を見てまわります。


クルマに乗り込み、一ノ関駅前の信号のない繁華街をのろりのろり、
慎重に抜けて幹線道路へ。


早朝に雨が降ったようで、道路は濡れていますが、天候は晴れ。


日本全国、どこでも見られる商業施設が建ち並ぶ幹線道路を西へ15分。


最初の訪問地に到着です。


つづく。




2020年11月15日日曜日

2日目の夕飯は居酒屋へ

ホテルの駐車場にクルマを駐め、
最低限の荷物だけ持って夕飯へ。

日中は晴天で、上着が無くても過ごせましたが、
夜になるとやはり東北。
もの凄く寒いです....。


で、今日は日曜日。

一ノ関駅周辺の地元の飲食店は、ほぼ全て定休日か19時にはもう閉店。

これは事前の調査でわかっていたので、今日の夕飯はチェーン系の居酒屋へ。

チェーン系居酒屋は駅周辺に5〜6件あって、
ほとんど東京にもあるものばかりなんだけど、
1件だけ知らない店があったので、そこへ。

Go To Eatのキャンペーン対象なので事前に予約をしておきました。

お店の名は「寧々家」。

主に東北地方に展開している居酒屋さんのようです。



個室だし、
日曜日の飲み放題が1000円だし、
どれもこれもひとひねりされた料理が期待以上に美味しいし、
しかーもGo To トラベルの地域クーポンが使えるし、
まったくもって、言うこと無し!


最近の居酒屋ってこんなにパフォーマンス良いの??


ぜひ、東京にも進出してください!!



陸前高田 その2

閉館1時間前。
道の駅 高田松原と東日本大震災津波伝承館へ。


道の駅はそろそろ閉店するモードになっていて、
近隣からの農作物もほぼ完売。


伝承館は入場無料。

世界の大地震の歴史から東日本大震災の詳細な資料、
震災当時に使われていた対策センター(?)の再現などなど。

辛い記憶を「これでもかっ」って見せつけるのではなく、
科学的、客観的に地震や津波の情報を展示していて、
実際に被災した当事者でなければ表現できなかったであろう部分もたくさんあり、
とても好感が持てます。

特に震災の詳細を知らない子供たちに、ぜひ見てもらいたいです。



外に出ると、とっぷり日が暮れ、
閉館の作業が進められています。


遠くに家やお店の明かりが見えるだけで、辺りは真っ暗。

工事車両が駐まる空き地ばかりで、住宅が建つ気配すらありません。

今日見てまわった3箇所の中で、陸前高田が一番復興が遅れているのは
なにか理由があるのかしら?



帰りは一旦、気仙沼まで戻って一ノ関へ。

道中、ほんとうに真っ暗闇でクネクネの峠道も数カ所。

運転を担当した相方さん、ご苦労様でした。





陸前高田 その1

気仙沼の隣、県はまたいで宮城県から岩手県へ。
クルマで25分ほど走ったところに陸前高田の町があります。

南三陸もそうですが、ここ陸前高田もあの震災がなければ
名前すら知らなかったかもしれません。

被害の大きさから、連日のように報道され
「奇跡の一本松」は復興のシンボルとして有名になりました。

YouTubeから


ここに昨年、内藤 廣さんの設計した「高田松原津波復興祈念公園」がオープンしたので
行ってみることに。


エントランスから防潮堤を望む景色は、1枚の美しい絵画のよう。

エントランスを挟んで片方は道の駅、もう片方は東日本大震災津波伝承館となっています。

まずは真っ直ぐ進んで公園へ。
建物から海へ伸びる路は「祈りの軸」と呼ばれ、
途中の「献花の場」には花が手向けられています。

先に進んで防潮堤の階段を上ったところには「海を望む場」が。

頂上から振り返ると、存在を隠し風景に溶け込むように建物が。
なかなかステキな建築ですな。

海側では「高田松原」の再生が進んでいます。

ただ、やはり12.5メートルの高さの防潮堤で、
美しい海辺の景観を手放してしまったことは、たいへん残念に思います。


防潮堤を下りて遊歩道を少し西へ、気仙川の近く
沈みゆく夕日を背に「奇跡の一本松」の雄姿が。



奇跡の一本松。
意外と大きく、高さは27メートル。

350年もの間、約7万本の松の木が茂り、日本百景にも指定されていた景勝地が、
この1本を残して全て流されてしまいました。
(実際には10数本残っていたのだそう)

奥に見えるのはユースホステルの遺構で、この建物のおかげで津波を直接受けることなく
生き残れたのだとか。


結局は塩害などで枯れてしまうのですが、さまざまな技術を駆使して復元され
今に至ります。



閉館時間が迫ってきたので津波伝承館へ。


つづく。