2020年11月14日土曜日

中尊寺 月見坂 → 弁慶堂 → 本堂

一通り平泉の歴史を抑えたところで、中尊寺の参拝を。

昼食を終えて再び参道に戻ります。

「坂」と言うよりは「登山」に限りなく近い急な月見坂を
えっちら、おっちら登っていきます。

左側には最初のお堂「弁慶堂」が。
本当は「愛宕宮」なんですけど、仁王立ちする弁慶像があることから弁慶堂と呼ばれているそーな。

確かに。
義経さんらしき像もいらっしゃる。


参道から一段高くなっているお堂の前からは晴れ渡る平泉の風景が。
かなり高くまで一気に登ってきたことがわかります。

弁慶堂の次は小さな地蔵が祀られている「地蔵堂」。

ここまで来ると参道の坂も穏やかになり、両側には閉じられた門が散見されます。
中尊寺は最も栄えた時に、40の寺塔と300の禅坊(宿舎)で構成された巨大な寺院群で、そのいくつかは現在でも残っていて、一般に公開はされていません。


紅葉が美しい参道をさらに進むと...

中尊寺の本堂に到着します。

つづく。


平泉の歴史 後編 「奥州藤原氏の栄華と滅亡」

前九年、後三年の合戦。人生の半分を戦に費やした奥州藤原氏 初代 藤原清衡は、敵味方を含め戦死した多くの人々を弔うために、残りの人生を平和な世の中を創るために費やします。


居を平泉に移して、まず行ったのが「中尊寺」の建立です。

清衡が治める奥州は当時、名産品である「金」と「馬」に加えて、北方の蝦夷地や平安京との交易などで巨万の富を得ます。

その富を惜しげもなくつぎ込んだのが中尊寺「金色堂」を筆頭に、国宝級文化財の数々です。
当時の最高技術がふんだんに使われているのも、平安京と太いパイプで繋がっていたためでしょう。


二代 基衡(もとひら)は清衡の平和国家の思いを継いで「毛越寺」の建立を始めるなど、平泉の発展に寄与します。


三代 秀衡(秀衡)の時代になるとその財力、勢力は益々強大になり、平泉は平安京と並ぶほど繁栄し、秀衡は「奥州守」という奥州の支配者(キング!)の称号まで得ることとなります。


一方、京の都では「保元の乱」、「平治の乱」が起こり、戦で活躍した平家が台頭します。

平治の乱で敗戦した源頼朝は伊豆へ流刑に、父を失った頼朝の異母弟 源義経(幼名「牛若丸」)は京の鞍馬寺に預けられますが、そこを抜け出し藤原秀衡を頼って平泉へ逃れます。

それから20年、平清盛の統治が続きますが、それを嫌った後白河上皇が平家追討の命を出し、日本全国で大規模な戦(治承・寿永の乱)が起こります。

奥州は平家にも源氏にも加担することなく中立の立場を取り、戦に巻き込まれることなく平和と独立を保ち続けました。

ところが、源頼朝が挙兵したことを知った弟の義経は藤原秀衡の制止を無視して平泉を去り、平家との戦に参戦します。

結局、「壇ノ浦の戦い」で平家を滅ぼした源義経は、その手柄を独り占めしようとしたため頼朝と対立。兄、頼朝に追われる身となるのでした。

追い詰められた源義経は再び平泉に逃げ延び、藤原秀衡はこれを受け入れます。


数年後、藤原秀衡が亡くなり四代 泰衡(やすひら)に代替わりすると源義経をかくまっていることが源頼朝にバレてしまいます。

源頼朝は藤原泰衡に源義経を討つよう迫り、泰衡は源氏との対立を避けるため、これを呑みます。

追い込まれた源義経は平泉の山中で自害。

さらに、そもそも強大で独立した勢力を持つ奥州藤原氏を警戒していた源頼朝は、源義経をかくまっていた罪は重いとし、奥州へ進軍。


100年の栄華を誇った奥州藤原氏はここに滅することとなるのでした。
義経が自害したとされる丘の上から望む北上川


国内に大きな敵がいなくなった源頼朝は征夷大将軍に任ぜられ、平安時代が終焉。
鎌倉幕府がはじまるのでした。


あー、やっぱり歴史って面白い!!



平泉の歴史 前編 「奥州藤原氏の誕生」

中尊寺を拝観する前に平泉の歴史について簡単に。
(いろいろ間違えていたらごめんなさい。)


事の始まりは1051年。今から970年ほど前の平安時代中期から後期。

当時は陸奥国と呼ばれていた現在の岩手県付近は「安部氏」という豪族によって支配されていました。

「安部氏」の力は益々強大になり、その勢力を恐れた朝廷は源頼義+義家(←ランチの蕎麦屋の名前、源頼朝のご先祖様)親子を派遣し安部氏と12年に及ぶ戦を始めます。

これが前九年の合戦(昔は「前九年の役=えき」って教わったけどなぁ...)


苦戦を強いられた源頼義+義家 親子は陸奥の隣の出羽国の豪族「清原氏」の力を借りて、ようやく安部氏を滅ぼすことに成功します。

この時、朝廷から陸奥の国司として派遣されていたのが藤原経清(つねきよ)といって、平安時代の実質的支配者であり、藤原不比等を祖とする藤原一族の1人。

藤原経清は安部氏の娘と結婚していて男児がひとり。

この子供が後に平泉を平安京に次ぐ都市に発展させた奥州藤原氏の初代となる「藤原清衡(きよひら)」です。


清衡の父である藤原経清は前九年の合戦で安部氏に加担した罪で殺されてしまいます。

残された清衡の母、安部氏の娘は、なんと敵側の「清原氏」と再婚。

藤原清衡は姓を藤原から清原に変え清原氏として生きてゆきます。


それから20年後。

今度は清原氏の家督争いが勃発します。

これが「後三年の合戦」。

もちろん清衡も争いに巻き込まれます。


そこで手を借りたのが、なんと前九年の合戦で父を殺した宿敵である源義家!
(お蕎麦屋さんの名前の人)

結果、清衡は清原氏を滅ぼし、姓を「藤原」に戻し、奥州を治めることになるのでした。


歴史って、おもしろい!


後編につづく


平泉式わんこそば

次の予定は月見坂の途中のお蕎麦屋さんでランチ。

只今の時刻は10時40分。

まだ昼メシには早いので駐車場近辺のみやげ物店を見てまわることに。


相方さんはあらかじめガイドブックでおみやげの目星をつけていたようで、
その中からお試しサイズの「割りしみチョコせんべい」をゲット。
(これがなかなかの美味!)


秀衡塗や南部鉄器など興味をそそるものがあるものの、そんなに時間は潰せません。

「おなかすいた?」

「おぉ、食べられる!」

じゃぁ少し早いけどお昼にしましょ。


表参道の入口から一礼して...

なかなか勾配のキツイ月見坂へ。

坂の途中、参道から少し脇に逸れたところに「そば処 義家」があります。

ここでは平泉式のわんこそばがいただけます。

店名の「義家」は源義家のこと。
源義家は平泉が栄えるきっかけとなる前九年・後三年の役で活躍した武将。

なかなかツウなネーミングです。


岩手名物の普通のわんこそばは給仕がじゃんじゃか、じゃんじゃか、
次から次へと蕎麦をお椀に入れ続けますが、
平泉式は最初っから蕎麦が椀に小分けにされて供されます。

人生初のわんこそば。

エンタメ感は無いけど、自分のペースで食べられるから、こっちのが良いかも。

量が多そうに見えますが、全部合わせても普通のもりそば1枚分くらい。

自然薯や山菜おろしなどの薬味でいただきます。


お味の方は、至って普通。
ま、名物料理ってことで。



東京 → 一ノ関 → 平泉

朝5時半起床。


7:56 東京発 東北新幹線 はやぶさ103号で一ノ関を目指します。


上越新幹線には毎年のように乗っていますが、東北新幹線に乗るのはこれが初めて。
なので、相方さんは車中からの景色にとっても興味津々。
「あ、あれが男体山だ!」とか「そろそろ磐梯山が見えるはず!」とかとか...。
朝食のパンをいただいて満腹のはずなのに、まったく眠る気配無し。

これは奇跡です。


平泉の勉強をしつつ、Google Mapで現在地の周辺を調べつつ、
忙しくしているうちに2時間ちょっとで一ノ関に到着です。

途中、古川駅で非常ボタンが押された関係で5分ほどの遅延が発生。

席近くの外国人やおじさんがそわそわと車掌さんに何かを聞いています。

耳をそばだてていると「一ノ関から平泉に行く電車にのれるのか?」って。

あら、われわれと一緒じゃないの。

その電車に乗れないと選択肢が一ノ関からバスかタクシーになっちゃうので
スケジュールと予算に大きな影響が。

車掌さん曰く「大丈夫です。こちらの到着を待ってからの出発になりますから」って。

ほっ。
ひと安心でございます。


新幹線を降りてエスカレーターを上ると駅員さんが
「東北本線、盛岡方面へお乗りの方は○○番線へお急ぎください!」って。

小走りで東北本線のホームへ。

10分ほど遅れて一ノ関駅を出発。

7分少々で平泉駅に到着です。

走ったのもあるけれど、意外と暖かな陽気で
薄手のダウンジャケットでは少々暑すぎ。

あらら、ダウンなんか着てきて失敗だったかしら....。


平泉駅から中尊寺へは
1.平泉の名所をめぐる観光バス
2.ものすごく本数の少ない路線バス
3.タクシー
4.徒歩1.5km
の四択。

んじゃ、タクシーで。

1メーターちょい、700円で中尊寺への参道入口に到着します。

バスやタクシーのロータリーの中心には武蔵坊弁慶の墓碑が。

そもそも弁慶って実在してたのかしら?





Go To 平泉 & 三陸

今年は夏休みにどこにも行かなかったし、
「どっかに旅行してきなさい!」って国を挙げてのキャンペーンやってるし、
じゃぁどっか行きましょうよ、ってことに。

沖縄で失った夏を取り戻す?

北海道で美味いモノを食べまくる??

外国人観光客の少なそうな京都を満喫する???


いろんな選択肢がありますけど、われわれが選んだのは三陸と平泉。

理由は2つ。

あの悪夢からもうすぐ10年。

同じ国の人間として、あの災害を目の当たりにした時から
自分に何が出来るのかと思い続け、
結局何も行動しないまま10年も経ってしまいました。

今回のキャンペーンは国からお金が出ているわけだから、
それを被災地に還元するってのもあるし、
10年経った現在、どこまで復興しているのかにも興味があるし。

あと恩師の携わった建築もあるし。


三陸の要所を見てまわるのには良い機会だと思ったわけです。


もう1つの理由は、高校の修学旅行が平泉や小岩井農場など岩手の名所を見てまわり、
特に印象に残ったのが中尊寺だったこと。

まだまだ幼かったし、歴史に特に興味があったわけではなかったけど、
奥州藤原氏三代のミイラが見られたことと中尊寺金色堂の印象がとても強く、
いつかは再訪したいと思っていたのでした。

けど、平泉だけ訪問するって、旅のきっかけとしては弱くって、
今回は絶好のチャンスが訪れた!ってことなのです。


旅程は2泊3日。

宿泊地は便の良さそうな一ノ関。

初日に中尊寺を満喫し、2日目は朝から三陸へ。

最終日は一ノ関の名所と平泉観光に。


では、旅日記を始めます。








2019年8月3日土曜日

2019 八丈島 インデックス


夏休み 2019


いざ、夏休み突入!?


神様、今日はお願い!


八丈島 初上陸


まず向かった先は、もちろん.....


ホテルで旅のリスケジュール。


まずは海でしょ!


ウミガメ!


チェックイン


郷土居酒屋エイト


2日目 八丈島ドライブ その1


八丈島ドライブ その2


八丈島ドライブ その3


八丈島ドライブ その4


古民家カフェ


裏見ヶ滝


八丈島ドライブ その5


八丈島郷土料理 梁山泊




底土浜 星空観測


5日目 朝


終日、ビーチへ。


海から帰って、後片付け....


最後の晩餐


最終日 朝


おみやげショッピング&島内観光 1


おみやげショッピング&島内観光 2


名代 一休庵


おみやげショッピング&島内観光 3


八丈島ジャージーカフェ


帰路